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よみしろの読む城

好きな小説を好きなだけ褒めちぎります

恋する原発 (高橋源一郎)

オススメ本

チャリティーAVを作る話です。

 

もう一度言います。

 

チャリティーAVを作る話です。

 

 

作者が自分で言っていますが不謹慎です。3.11の震災の支援チャリティーとしてAVを作るというので、常識はずれ極まりないことをします。ですが、逆に世間の常識に一発パンチをかましているような痛快さも一方で感じます。

 

文章はと言うと一行に5単語くらい下ネタが入るくらいにはぶっ飛んでいて、時には声を出して笑ってしまうほどの面白さもあります。まぁ、ひどいです。ほんとにこれにつきます。

 

ところが、ひどいはずなんですが、なぜか途中から真面目に受け取ってしまうようになります。と、いうのも本編の物語を挟んで震災文学論というタイトルの真面目な論評が綴られているからです。そこまでの下ネタ満載のおふざけとギャップが大きすぎて、しかも唐突に真面目に始めるのだから知らないところに1人で放り出されたような戸惑いを感じます。

 

ところが混乱しているのにも関わらず、あるいは混乱しているからこそ救いの手を求めるようにして、震災文学論が頭にするすると入ってくるのです。

 

当然ながら、それだけではなくて物語との関連性もあり、その後再開された物語は別の視点から見るようになります。他方、『風の谷のナウシカ』はじめ、適切な作品の引用も交えつつ震災文学や、震災に対する諸々の態度を切って行きます。

 

最初はある人の震災後についてのインタビューでの

「僕はこの日をずっと待っていたんだ」

という"問題発言"から始まります。詳しくは本書を読んだ方がずっといいですし、せっかくなので自分の消化した形で簡単にまとめます。

この発言もいわゆる不謹慎ですが、本当は心のうちで第三者はみんなそんなことを思ってるのではないだろうかという話です。チャリティーというのは、なんだか偽善めいています。被災者を助けてあげたいのではなく、誰かに親切にしてあげる自分でいたいというのが本心ではないか。しかも相手は困っていて(自分より劣位にあって)いろいろなものを必要としているため、口実としては十分であり、優越感や自己満足を合法的に得られる。そんな利己的な本心を被災者の応援のためという大義名分で装飾しているのではないかと、そういう話です。

そんな傲慢さを露骨に出すためにAVチャリティーなんていうものを持ち出してきたのかと思わされたりもしました。

 

震災文学論は続いていくのですが、『風の谷のナウシカ』を引用して述べていた内容は安部公房の『第四間氷期』とリンクするところがあり、こういう視点を持てる人がもっと日本にいたならば、と思わざるを得ません。

つまり「未来に対する責任」

持続可能性と言ってもいいかもしれませんが、苦しい今を持ちこたえるのではなく将来へと続いていける社会を作るという発想が乏しいということです。原発なんかまさしく、ですね。

 

風の谷のナウシカ』の話はその後、生の周囲を取り巻く死が生のためには必要であることへとつながり、こちらも面白いものでした。

 

と、いうわけで内容の大半がふざけているようにみえますが『恋する原発』は見た目に反して扱うテーマは深いのです。一読の価値あり。


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