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よみしろの読む城

好きな小説を好きなだけ褒めちぎります

砂の女 (安部公房)

オススメ本

天才、安部公房ですね。僕は『砂の女』の圧倒的完成度に恐れおののき、安部公房作品は少なくとも文庫になってる物くらいは全部読まねばと思わされました。

 

といっても、まだ6冊しか読めてません。読んだ順番に『第四間氷期』『砂の女』『他人の顔』『R62号の発明・鉛の卵』『箱男』『笑う月』です。

芥川賞作品の『壁』は最後の方に楽しみにとっておいてあります。ごはんのときも好きな物は最後までとっておくタイプの人です。はい。

 

所詮、にわかファンに過ぎない不肖の者ではありますが、ちょっぴり讃えさせていただきます。

まずですね。安部公房作品には全体を通して考えに考え練られた思想が背景にあるわけです。最初に読んだ『第四間氷期』ではとんでもないものをテーマにしなさった!と、読み終わって本を閉じた後には思わず3回ほど唸ってしまいました。

『他人の顔』『箱男』は他人の視線から隠れるという点について共通するところがあります。これはちょっと僕には難しいと言うか、あと数年して読み返したら今よりもっと分かるようになっているのではないかな、などと思っております。

 

前置きが長くなってしまいました。『砂の女』に話を移しましょう。相変わらずネタバレ含みます。

 

まずはあらすじですね。

主人公の男性は生きる意味を「自分が発見した昆虫に自分の名前をつける」ということに見出し休日には昆虫採集をするサラリーマン。彼が目当ての昆虫を探しに砂漠を探索していたところ、砂漠に住む人々に騙され砂漠の端の家に閉じ込められます。そこには女がおり、砂を搔き出す重労働を続けています。そうしないと集落は砂に埋もれてしまうということなのですが、男にはそんな義理もありません。理不尽に閉じ込められそこでの生活を余儀なくされた主人公は脱出を試み、その都度失敗を繰り返します。試みの最中、全くの偶然に水を溜める方法を発見します。その頃には砂漠での水の貴重さを身に沁みて分かっていた主人公は水を集める装置の改良に努めはじめ、並行して女との関係も良好になっていきます。そうして女が妊娠し、いざ出産するというので女が外に出されたその時、外に出るための縄梯子が放置されていることに主人公は気づきます。最後、念願の脱出を叶えた主人公は外の景色を眺め、そしてなんと、あの女といた家に戻っていくのです。

 

安直に言ってしまうと、この物語は生きる意味を見つけられない普通の人間が繰り返され続ける日常に生きる意味を見出す物語です。

 

そして僕が打ちのめされた一文がこちら

 

孤独とは、幻を求めて満たされない、渇きのことなのである。

 

 このたった一文だけで視野がぐわっと広がり、この一文のために小説全体があるのだとさえ感じました。

 

以下、詳しく見ていきましょう。

 

初め、主人公は自分の発見した昆虫に自分の名前をつけることで自分の生きた証を世界に残そうとします。それが最後にどうなったのかといえば、ほとんどの時間を砂を搔き出すことに費やす生活を自ら選びました。

 

言うまでもなく、生きる意味というのはなかなか難しい問題です。安部公房は日常という答えを提示しました。

 

砂の女』全体に通じるモチーフとして"砂"があります。舞台が砂漠であるというのだけではなく、砂というもののもつ流動性という本質が全体に睨みを利かせています。物事は常に変化する。動き続けることこそが生であり、砂はそのことを端的に表しています。(思えば人の体細胞はもの凄い頻度で入れ替わっているので、この世界はよくできてるなとつくづく思います)

 

そう考えると、自分の名前を付けることと繰り返される日常に生を費やすことは死の固定性と生の流動性の対比となっていますね。見事です。

 

ところで、繰り返される日常というのはうんざりするものの典型のようで、本当にそれが生きる意味になるのだろうかと感じますね。でも、実際は毎日は同じではありません。長期的に見ればなおさらです。例えば、砂の中に埋めた物が位置がいつの間にか変わっているように、砂の中にいた男女が一人の子供の両親になるように。流動性の中においては変化があり、それこそが生なのです。

 

ですが、現代人は変化に気づけません。忙しすぎますし、細部の変化には目を当てる余裕もありません。だから日常は同じ物に見えうんざりしてしまうのかもしれませんね。

 

そして、永久に名前を残すという成功やそれによる幸せという「幻」を見てしまう訳です。古すぎる例であれですが、マイホームの夢みたいなものです。きっと今もよくよく目を凝らしてみると別の形の「幻」がのさばっているのでしょうね。

 

もう1つ、砂の特徴で全体に利いている観念に"渇き"というのがあります。

あらすじでは伝えきれませんでしたが、作中でのどの渇きに苦しめられる様が克明に描写されています。水の配給が制限される場面があるのですが、すごく苦しみます。

そこが冒頭にあげた一文に響いてくるのですね。砂漠での生活により渇望という言葉の重みを存分に増していった後、渇きという語の持つ強い欲求としての側面を事前の描写で増幅させています。そしてまた、潤いを求めて砂にいくら水をかけるような無為さが「幻をもとめ」ることの「満たされな」さをありありと感じさせるのです。

 

 

孤独とは、幻を求めて満たされない、渇きのことなのである。

 

いかがですか?咀嚼するたびいい味が出てくるような気がしませんか?

 

 

 


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