よみしろの読む城

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あなたの人生の物語 (テッド・チャン)

言霊というのがある。

 

祝詞のような霊力の宿った言葉が言霊と言われ、それを唱えることで人智を越えた力が生じる。僕はそんな理解をしている。

けれど、ネットで調べると、単純に言葉が人間に影響することくらいの意味合いで使われている様子だ。「死ね」と言ったら言われた方は不快に思うというような日常レベルの例を引き合いに出して、裏を返せば「幸せ」とか「ありがとう」のような前向きな言葉を使うと良いという結論に至る。

結果的に前向きな言葉を使うようになる分には賛成だが、これは言霊というよりも自分への暗示と言った方が適切だ。人間の脳は案外出来が悪いため繰り返される言葉やイメージに簡単に影響される。

前向きな言葉を繰り返すのは理にかなっていて効果が出やすいだけに、仕組みの分からない人が安易に宗教的な理解に結びつけたがるのだと思っている。

そうして、オカルト的知識の多くがそうであるように、中途半端な理解者が重大な秘密を知っているような顔で浅薄な知識をひけらすのだ。

古代から残り続けている言霊信仰がだれでも簡単に理解できるほど平易なはずがない。

 

 

とは言え、実際のところ、言霊は仰々しく僕らの前に立ち現れるわけではない。

例えば「はなす(話す)」が「はなす(手放す)」に通じるという話は理解もしやすく、また、文字通り言葉遊びのようで、単純に面白い。

一人で抱えていた問題を他人に話すことで、悩みが軽減したように感じることがある。逆に、大事に隠していた秘密や決意を誰かにこっそり話してしまった日には、相手のリアクションによらず、神秘性が失われたり覚悟が揺らいでしまったりする。

この「はなす」は今でもよく思い出して上手いなぁと関心するのだ。

 

一方で、これは無理があるだろうというのもある。「あせり」=「天施離(天の施しが離れる)」というのを見たときには、言霊の名を借りて上手に漢字を当てたのが広まっただけなのでは? と思ったものだ。

 

 

一時期こういうアフォリズムめいたものにはまっており、ありがたがったり胸に刻んでみたりしていた。

けれど、本気にはしていなかった。言霊が真実であるにしろ創作であるにしろ自分に役立ちそうなら使えば良いという程度の理解だった。

 

 

端的にいえば、いまや言霊は新興宗教に成り下がっていると考えていたのだ。

ネットの海には本来的な意味合いのものと誰かの間違った理解にもとづく創作物とが入り交じっていて、ほとんどが後者だ。その中から本物を区別するのは困難で、だから、信じたいものを選び取って信じる形になる。

自分に都合のいいもので出来上がったオーダーメイドの簡易宗教というわけだ。

どうであれ、本人が救われれば構わない。

だが、僕はそんなものに頼る気にはなれなかった。信じるに値する情報源を吟味するほどの熱意も持ち合わせていなかった。

 

けれども、面白いとはどこかで思い続けていたのだと思う。事実、信じるに足る情報源がある、ということは信じていたのだ。

大学で第二外国語を選ぶときには、言語は思考を形作るものだからと真剣に悩みもした。

神林長平の『言壺』への興味も、言霊への関心と同根であるのかもしれない。

 

 

 

神林長平は僕の尊敬するSF作家だ。彼の小説はストーリーが進むにつれ、論理も展開していく構成で、扱われるテーマは様々だ。その一つに言葉をめぐる考察がある。

『言壺』は日本SF大賞受賞作で、言葉により考える我々の意識は逆に言葉によって制限されるのではないかという視点がある。

 

ソシュール言語学を発端として現象学を切り開いたことからも分かるように、言葉にまつわる問題は広く深い。

そうした考察の余地をSFは見逃さない。

 

長い遠回りをしてしまったが、『あなたの人生の物語』の表題作も言葉と格闘したSFの一つだ、ということが言いたかった。

 

 

一部、ネタバレを含むあらすじを書く。

(魅力は極めて知的な本文にあるため、ネタバレがそれほど悪いことだとは思っていないが、読みやすい短編なので初見の楽しみのために先に本文を読むこともおすすめしておく)

 

 

<あらすじ> 

ストーリーは謎の生命体とコンタクトをとろうとする言語学者の奮闘と娘との思い出が交錯しながら進む。謎の生命体の言語は地球上のどの言語とも似ておらず、苦労しながらも法則性を見つけていく。珠玉はその言語への理解が深まることで彼らとの思考スタイルの差異が浮き彫りになるところである。物理学者との恊働で彼らは人類と異なる仕方で世界を見ていると判明する。彼らの言語を修得していくことで、言語学者は彼らの世界の見方ができるようになる。

 

我々人類は因果関係を見出し思考するため、出来事の起きた順番に沿って叙述する。一方で、彼らは最初から最後までの通しでの出来事を叙述する。目的論的解釈と表現されていた。

 

  

あなたの人生の物語』を読んだ後、言霊のことを思い出した。『言壺』の時にはなかったことだ。

言霊のこと、というよりも正確には「はなす」は受け入れられたのに「あせり」は受け入れられなかった経験のことを思い出したのだ。

 

僕が「はなす」を受け入れられたのは、言語の発生段階を想定してのことだと思う。

原始、レヴィ・ストロースが「野生の思考」と呼ぶイメージや表象を使った思考がすべてだった頃に言葉を発明したとして、それは音声言語だったろう。狼が遠吠えし、鳥たちが鳴くように、自然界ではありふれた伝達様式であった。遠距離で、リアルタイムで、簡単に意思疎通が可能な音声言語は文字などに比べて使われやすい。

 

それゆえ、初期になにか言語を創るとき、重複するイメージを持つ行為に同じような発音が当てはめられるのは十分考えられる。「夢」が将来の「夢」というときの意味と眠ったときに見る「夢」との異なる意味がまとめて表されるようなものだ。

(英語のdreamの場合も同様に異なる二つの意味が一語に含まれていることを考えると将来の夢と夜みる夢とは関連したイメージであるように思われるが、これはまた別の話)

 

もし、人に話す行為と自分から離れていく心理的なイメージとが経験的に重なるものであったのならば、一緒くたに「はなす」とまとめられてもおかしくない。

「はなす」の場合には、このように納得ができたのだ。

 

 

「あせり」の場合は話が違う。

「あせり」と「天」「施」「離」のイメージが重複するとは到底思えないし、この場合「あせり」という語が創られるより先に「天」「施」「離」のそれぞれが出来ているのが前提となる。いずれも「あせり」よりも抽象度が高く使用頻度の低そうな、謂わば上級概念にみえる。「あせり」が後から創られるというのは時間的に前後関係がおかしい。

だから、ありえないと思っていた。

 

結局は理解できないものを拒んでいた、ということになるのだろう。

我ながら浅はかだ。

 

あなたの人生の物語』における未知の生命体の文字は一単位に含まれる情報が質的で、量に換算しようとすると膨大に見える。彼らの文字は幾何学的だが、曲線は曲がり方が変われば意味も変わってくるのだ。

たしかに、我々の感性も顔のイラストで目が少し変わるだけで印象が異なる。

彼らの思考はイメージからなり、それをそのまま忠実に表現すれば、幾何学的な図形こそが文字として採用されるのも当然だ。

 

例えば「男が狩りに出る」という文があったとして、文字にする前の頭に思い浮かべていた段階では「屈強な男が鹿を狩るべく弓を携えて山へ踏み込む」のようま段違いに豊富な情報量であったはずだ。さらに「男」一つをとっても彼にまつわる具体的で膨大なイメージが連鎖的につながっている。無限とも言っていい情報量があったはずだが、我々の言語はそれらのほとんどを捨象する。その分、伝達に特化しているとも言えるのだが。

 

言語を生み出した初期の頃が作中の未知の生命体のようにイメージによる思考法がメインだった可能性は十分考えられる。

(先ほどからイメージの思考と言っているが、右脳による思考と言って差し支えないと思う)

その場合、「天」「施」「離」のそれぞれよりもさらに根源に「あ」「せ」「り」というひらがな一文字一文字があって、ひらがながあたかも絵画の一筆一筆のように膨大なイメージを含んでいるかもしれないと考えたのだ。

そんな風に考えると「天施離」を荒唐無稽だと笑えなくなる。

 

 

あなたの人生の物語』を読んだ僕の一番のインパクトはこのようなところだが、実を言うとこれは本作のメインではない。

彼らの思考法を掘り下げていくと、目的論的なものの見方になるという。となると、時間に対する見方も我々のものと異なってくる。

どのように異なるかは読んだ方には、もうお分かりだろう。

 

 


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