よみしろの読む城

好きな小説を好きなだけ褒めちぎります

へヴン

いじめはよくない

 

そりゃそうだろう。だが「いじめはよくない」の一文に何の意味があるだろうか?

この一文でいじめっ子が己の悪事を自覚して、反省し昨日の敵と仲直り、なんてことはあり得ない。

第一、いじめてる側も自分のしてることがいじめだと気づいているし、それぞれの思惑でいじめてるのだ。

かく言う自分も中一の頃、いじめる側にいたことがあり恥ずかしい限りなのだが(その後しっかり怒られた)当時としてはいじめられる側に原因があり、自分達は各々がそいつと一対一で喧嘩していると思っていた。

今でもいじめられる側にも原因がある場合が多いと思っているが、突っ込んだ話は置いておくとして、だから「スカッとするからいじめる」みたいな趣旨は理解できない。

でも、「いじめはよくない」なんてメッセージが響かないことだけはよく分かる。

 

じゃあ、いじめに対して文章ができることは何もないのかというとそうではない。

いじめっ子らに「なにもかもムカつくよな」と一緒に暴れてやるのも良いだろう。彼らも時代の被害者だ。

そして、勿論、いじめられっ子に寄り添う文章もあって良い。

 

川上未映子さんの『ヘヴン』は後者だ。

 

主人公は生まれつきの斜視でスクールカーストの上位の連中にいじめられている。物語は筆箱の中に「私はあなたの味方です」とだけ書かれたメモを見つけるところから始まる。

 

そう。彼女はいじめられっ子の味方なのだ。

 

「耐え続ければいつか報われるさ」的な気持ちを逆撫でするような、中途半端な人間が味方ぶるのとは訳が違う。

例えば、主人公がチョークを食べされられてみんなに笑われるシーン。ここまでの場面を想像できるのは寄り添う覚悟の現れだろう。

 

部外者が同情して「やっぱりいじめはよくないな」と感じるのは読み方として甘いと思う。今、いじめられている子供たちにこそ届くべき文章だから、部外者は彼女の渾身の想いを感じとるしかできないのだ。

 

 

いじめをテーマとしながらも、川上未映子らしい丁寧で静かな雰囲気ができあがっている。

 

手紙のやりとりなんか、当時の自分の文章ではなかろうかという程に幼い真剣さがにじみ出てて、人に寄り添った文章を書くのが得意なのだろうと感じさせる。

 

だからこそ、いじめられっ子に寄り添った小説を書けたのだろう。 


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