思惟漏刻

本のおすすめと思考とっちらかしサイバーデブリ

『豊かさのなかの自殺』ボードロ,エスタブレ

『豊かさのなかの自殺』という本をとりあげたい。

実のところ、まだ読み途中なのだが、興味はあるのに読み進まなくなってしまい、一度考えを整理して明らかにしておく必要を感じた。さしあたりは現場までの要約をしておく。

   

タイトルにある通り、本書は豊かな国において自殺率が高いという社会現象に光をあて、分析した研究成果である。豊かさと自殺率のつながりについては社会学の祖デュルケームが著書『自殺論』で明らかにしたもので、一般に社会が経済的に豊かになると自殺率が上昇するという傾向性が見出された。そこからデュルケームは「貧困は自殺を妨げる」という結論を導き出した。

本書ではその結論に否を突きつける。デュルケームが1897年で、20世紀の社会状況を踏まえると豊かさと自殺の相関は怪しいものに思われるのだ。例えば、旧ソビエト諸国という貧しく自殺率が高い国々の例外を除けば、国のGDPと自殺率のあいだには全体的に相関関係が見られる。しかし、豊かな国の内部ではその相関は全く逆になり、貧しい地域の方が自殺率が高いという傾向が見られる。これを暗に不平等が自殺を促進する要因となっていると見るわけにはいかないのが、豊かな国であるほど、貧しい国よりも富の集中が少ないというデータがあるからだ。デュルケームの結論にそぐわない例は他にもあり、20世紀後半のフランスで購買力が順調に上がっているとき、自殺率は一定を保っているデータなどがある。
以上のように、豊かさと自殺率が直接的な因果関係にあると見ることは難しく、おそらくは社会的な要素が多々絡まり合って自殺率が高まるのである。このことは裏を返せば自殺率は社会の全般的な状況を敏感に反映させるということになる。本書はそのようなモチベーションで自殺率から社会を分析しつつ、何が自殺率を高める要因として強いのかを見定めていく。
自殺率に注目しているものの、自殺者が多く出る社会においては相応の生きづらさがあると考えられる。お金があるのに幸せになれないのなら、何がこの閉塞感を生み出しているのか、というのは個人的にかなり興味があるし、自分自身の問題としてもとらえているところではある。(別に裕福な暮らしをしているわけでもないが、生きていくので手一杯というほど貧しいわけでもないので)

 

読んでいくなかで、強調されていたのは個人主義の台頭だ。伝統的な家族形態は失われ、生計を立てるにも自分の職業やらライフスタイルやらを選択するのも全て個人の単位でなされることだ。そうした個人主義的な前提のもとで成り立っている社会が自殺率を高めている可能性を裏付けるデータがある。例えば、会社に所属している人よりもフリーで活動しておりいつ生活ができなくなってもおかしくない人の方が自殺率が高いこと。他には子供がいる人の場合の自殺率が低いこと。
ここから(本の中で語られていたか忘れたが)人的資源に恵まれていることが自殺率を下げるが、その恩恵の一つは選択を他の人たちに委ねられることにある、ということが言えそうである。自殺と関連する要因はたくさんあるが、直接の原因はつまるところストレスや不安だから、個人的には、それらを解消する仕組みが用意されているかどうか、この点に注目している。

 

部分的に読み直していたら、個人主義への批判は元々デュルケームが行なっていたとのことだが、それに対してイングルハートが「創造的個人主義」を提唱し(p.118)、自殺を抑制しているものと考えている。これは集団と個を敵対的な関係と考えず、個が芸術的な生産性を発揮することで集団が活気付くとでもいうような、個の労働が主体となる形式だ。伝統的な家族において保証されていた承認欲求とか人間関係からもたらされる利益のようなものを、個人主義を捨てない形で回復できると考えられている。しかし、実際のところ、どうなのだろうか。そのように労働が創造的な活動になれるかどうかは職種によるようにも思う。工場での労働はやはり単純作業に終始してしまうし、プログラミングなどは自らコードを書くから自己表現のようにも思えるが、プログラマーとして働いていた人から、結局は大人数で仕事をしなければならず、上の命令に左右されるため、主体的であるとは言い難いと聞いたことがある。「創造的個人主義」は実現されれば良いが、実現可能かどうかは組織のありかたの問題であり、今後の課題であるように思える。だとすると、社会学的な調査結果を説明する用語としてはふさわしくなく、それゆえ机上の空論めいてくる。提唱者のイングルハートが実際にどのような主張をしているのかが不明である限り、すでに言い過ぎな感はあるが、これ以上論ずるにはまず、社会的な実情から裏付けることができるかどうか、明瞭にしなければならないだろう。

 

以上、4章までの内容で基本的に記憶を頼りに、ちらちら本を読み返しつつ整理した。
現状で7章まで読んでいるのだが、5章はさておき6章の内容が全然蘇ってこない。

5章は旧ソビエト諸国の貧困かつ自殺率が高いという例外について分析をしていた。豊かさをGDPで比較しているため、社会主義国で無償で受けられるサービスなどが反映されないために、一概に貧しいと言えないということや、ソ連などでは信頼できるデータがなかなか得られず学術的な調査が難しいことなどが書かれていた。自殺率の高さをアルコール(ウォッカ)摂取量から説明する向きについては、社会不安の方が原因であり、自殺率とアルコール量はいずれも同じ社会不安を反映した帰結なのではないかという話もあった。
そもそもなぜ社会主義国の自殺率が異様に高いのかがあまり説明されていなかったような気がする。読み飛ばしてしまったのかもしれない。事前の予想としては規則にがんじがらめにされた居心地の悪さなどがあるのかと思っていたが、特に触れられていなかった。と思う。

6章は「オイルショックと若者の自殺」と題されており、老人の方が若者よりも自殺率が高いという傾向がどんどん消滅してきており、年齢別自殺率が収束に向かっていることが示されていた。日本とドイツが例外として注目されていたのだが、年齢ごとに差があるためなのか、全体の自殺率が順調に低下し、急上昇した経緯によるのか、読み返しても目が滑って判然としない。6章については頑張って読み返すよりも一度保留にして7章を引き続き読み進めたい。必要を感じれば読み返すということで。

 

ひとまず、なんとなく考えていたことは整理できた。自分が考えていることが不明瞭なまま無理に読み続けてると、進みが滞るような気がしているので、読者の方に読む価値があるのかは疑問だが個人的には良い毒抜きになった。読み終えたら整えて書き直し、追記をする。かもしれない。
以上、雑文でのお目汚し申し訳ない。


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