よみしろの読む城

好きな小説を好きなだけ褒めちぎります

<harmony/>  絶望的な理想郷に圧巻

 

 

11/13公開の<harmony/>を早速観に行きました。

  

衝撃でした。

 

あまりの衝撃に「すごい」と何度呟いたかしれません。開いた口が塞がりませんでした。

 以下、内容を知っている人向けに書きます。要するにネタバレしまくります。

 

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親切さが人を殺す社会

 <harmony/>の設定では全ての日本人にWatchMeを埋め込み完全な健康管理社会を形成し、人々が病や死に苦しむことの無い社会を完成しています。WatchMeが血中動態を把握し、オーグと呼ばれる眼と連動した機械が警告やアドバイスを提示します。オーグはその他にも蛍光灯を見れば感電注意などの警告を示すなどもしていて、お節介のようにも見えますが、人々はそれを普通のことと受け入れていることから、もはやの彼らの危機管理能力はほとんど失われているのではないかと読み取れます。人を見れば名前のみならず、その人の社会的評価まで数字で表示され、判断すら自分のものではない統一規格に準拠する有様です。しかし人間が駄目になってばかりいるわけでもないようで、彼らはおしなべてみな親切であり、自分たちの社会を良いものだと信じており、実際幸福そうです。

個人的に一番衝撃だったのがここで、健康で安全で何よりみんな親切な社会が、ミァハやトァンにより「親切心が人を殺す社会」だと一蹴されてしまうところです。ミァハは憎み破壊しようとし、トァンはそこから逃げ去りました。

親切が人を殺すということについて、子供が自殺する例が挙げられていました。自殺の理由はここには居場所がないから。あの日本は「親切で幸せな社会」を理想としている人々の集団で、しかもそれを実現している点で厄介なのです。言うなれば親切教という宗教が集団全員に浸透していて悪(他の思想・宗教)を許さない社会です。親切第一であるが故に排他的で不親切な社会だったというわけです。そこに気付いて絶望したミァハですが、周囲がみんな同じ価値観であるがゆえに、その絶望を共感してくれる人がいませんでした。だからこそ共感してくれる同志を求め、トァンとキアンを得たのです。そして完璧で幸福なはずの社会での自殺という形で国全体を支配していた親切教に楔を打ち込もうとしたのです。

 

ただ、あの社会の不老不死に近い健康管理技術と強い関連があると思われるので、現実世界にそのまま反映して考えるのが早計であるとは思います。同じ人間が長生きのために社会的役割において成長し続け重要ポストを占め続けているから生じる不満というものが大きい要因の一つだからです。同じ人が同じ仕事を続けるのは、洗練されていきよりよい運営につながるように思えますが、良いこと尽くめでもない。新陳代謝が起こらないために後から出てくる子供としてはどこもかしこも既に大人が占領していて居場所がない。大人が自分たちに居心地のいい社会を作って其処に居座り続けているために、子供としては自分が大人になったとしても完成された社会に自分の入り込む隙間がない。しかも親切でしかない、価値観が統一された人々に囲まれているがために、自分の性格まで将来が見えている。

 

さて、どこに僕が衝撃を受けたかというと、他人に思いやりのある人々に包まれた社会を理想と思っていたからです。

個人的な悩みではありますが、今の日本社会が一体何を目指して行けば良いのかが分かりません。例えば戦時中なら戦のない泰平の世の中を目指すべきですし、戦後まもなくの頃は経済的政治的な意味での復興を目指せばいいですし、もう少ししたら病気を始めとする生活苦の除去です。その達成が困難だとしても明白な目標があれば、そこに至る努力には幸福が伴うというのが僕の持論です。だから、今は何を目指せばいいかを明確に持てばいいと思うのですが、それがなかなか見つからない。

もう少し詳しくいうと、例えば科学技術の向上で生活を豊かにして行ったとしても、豊かにしたのと同じだけ技術を悪用されるリスクも高まり便利な世の中で人を自堕落にさせます。医療で人の寿命を延ばしたとして生活に支障をきたしたまま生活を続ける苦痛を味わうことになり得ます。どうしても物事にはいい面もあれば悪い面もあり、結局は個人個人がどう対応していくかに集約されていきます。だから、僕は進んだ技術を使うのに十分に頭のいい人々の集団や、どんなに苦しくても生きていく価値のある”優しい”人々で構成される社会になることが今の時代に掲げるべき理想だと思っていたのです。要するに生活環境の改善ではなく人の改善。

 

ところが、優しい人々の方が否定されたのです。絶望的な理想郷を見せつけられてしまいました。

ですが、ある意味では僕の思想というか思惑というかは依然として的を射ていると思います。なぜなら、<harmony/>で蔓延していた親切は作られたものであって、僕の望んだものは個人個人が成長し、自力で築きあげる親切や心的成長だからです。とはいえ痛いところを何点か突かれているのは事実です。一つは、そうした社会に至る道筋が見えていないために、生活水準の向上に力をいれるくらいの考えしか持っていなかったことです。生活に余裕があることで心にも余裕ができ、自己陶冶に励めるとしていたのですが、いたずらに生活水準を高めても見るべきものを見失うと<harmony/>のような社会になってしまいます。もう一つは、そもそも他人の幸福にまで責任を持とうという傲慢さです。これを言ったらいままで述べてきたこと全部が否定されかねませんが、まぁ盲目的に何でもかんでも突き進むのはよくないから色々考えているのだということにして許容してもらいます。 

 

 

さて、ここでちょっとした希望も見出します。先ほど、現実に持ち込むのは早計と言ったように、こんな完璧な社会はあり得ません。健康でだれも死なない。みんなが同じ価値観を共有している。そんなことはあり得ない。

歴史上の宗教の対立は、対立する価値観をもつ双方が自分の色で相手方を染めてしまおうとしている動きであるというのが、僕の個人的見解なのですが、それらの歴史が示しているように価値観の統一は不可能です。対立に負けた方は主張を握りつぶされるだけで思想自体は変わりません。理想を一つに定めてしまうことの愚昧さは上述の通りで、もっと多様な価値観を受け入れ合える社会の方が大人であるというのが今のところの私見です。<harmony/>はみなが同じ考えを持つ社会の異常性を暴露し、常に多様な価値観が入り乱れ統一されることのない現実が極めて正常な社会であることを示唆しています。

 

 

調和・ハーモニー

ところで、<harmony/>での価値観の統一された社会は、別の意味でも絶望的です。

作中でトァンが日本人を「みんなと同じであることを望む」と評しているように誰もが他の誰かと置き換え可能な没個性的存在になってしまっています。まるで機械の部品です。日本という大きな個を動かすための一つ一つの細胞のように成り果てている印象を受けました。映画に度々出てくる建造物がまるで人の真皮のような薄ピンク色で、血管のような構造に覆われているのが象徴的でした。彼らは日本という個を動かすためだけの細胞、とうに他人と異なる自己など失われている様は、日本人全体が調和(ハーモニー)しているようにすら見えます。最後にはハーモニー状態にさせられるわけですが、それ以前から自己の意識などあってないような状態になっていたのです。

 

ハーモニー計画とは脳内の欲求や報酬系とのバランスを完璧に保ち、苦を取り除く計画で、副作用として完璧に合理的に動く他なくなったために感情や思考が不要となり意識が失われるという重大な欠陥がありました。

トァンは最後、意識がなくとも幸福に包まれる世の中を良しとするミァハの思想を受け入れますが、自分の愛したミァハの意識が失われないのを望みます。幸福だけを感じることよりも、意識・自己を持つことが美しいのをトァンは分かっていたのでしょう。

それにしても、自分の意識が失われ幸福に包まれた世界になるという終わり方は絶望的でした。幸福な世界に包まれる絶望的な終わり方はジョージオーウェルの『一九八四年』を思い出すものがあります。考えてみるとWatchMeはテレスクリーンに対応していますし。違うのは『一九八四年』は支配を目的として統制していたのに対して、こちらは良かれと築かれた(みんなが理想を追究していってできた)社会であるという点でしょうか。

 

これらが示しているのは、人は幸福感を得るためだけに生きているのではないということです。幸福と幸福感とは似て非なるものです。困難や苦悩を背景にした幸福こそが本来的なあり方であって、幸福感だけを単体で取り出してしまっては、もはや生きながらにして死んでいるのと同じだということです。『風の谷のナウシカ』でも死を背景にした生ことが本当の生であると主張されていることをこの前確認しました。我々には幸福になりたいと願うあまり不幸を除去しようとする傾向がありますが、それは極めて不自然な行為であると、つくづく感じました。

 

不幸を受け入れる覚悟のある人が幸せを享受できるという現実は少々手厳しいものを感じます。ですが、不幸の無い世界という理想郷となるはずだったディストピアを提示することで<harmony/>は、逆説的に不幸を受け入れる心構えを我々に授けてくれたようでした。

我々が本当に目指すべきは不幸と幸福とのハーモニーの成立したしゃかいなのかもしれません。

 

 

 

余談ですが、僕は小説を読まずに映画を観に行きました。映像化の長所を生かせていると感じたのは最初と最後のハーモニー状態の表現。安心感を漂わせながらも背筋の凍る雰囲気が支配しているようで秀逸でした。それともう一つ、上の方でもしてきしましたが、建物の演出が生々しくて否応無く臓器を彷彿とさせていて秀逸でした。

基本的にはストーリーというか扱うテーマの凄まじさに打ち震えたので小説の方も読んでいこうと思います。

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