桐島、部活やめるってよ (朝井リョウ)
タイトルの通り桐島君が部活をやめます。彼はバレー部のキャプテンなのですが、なぜかやめてしまい周りの人は戸惑います。
この小説の最も特筆すべき点は肝心の桐島が一切登場しないということ。それでいて桐島がやめた理由が判明していく推理ものでもない。どころか桐島の対極にいそうなオタクがきちんと描かれていたりします。
これは一体なんなのか?
最初、この作品を通して何がしたいのか分かりませんでした。なぜそれほどの評価を受けているのかと。ところがある日、映画の方の『桐島、部活やめるってよ』について大絶賛しているコメントを見つけ、なるほどとすごく納得しました。
それがこちら
まとめると、かっこいい主人公が苦しい努力の末に報われる系のありがちな青春映画は陳腐な幻想に過ぎない。そんなものはもう破綻しているのだ、ということをありがちな主人公タイプの桐島が乗り越えていくはずの部活をやめたことによって表現している。桐島が帰ってこないから青春小説が成り立たない。とのこと。
なるほどなるほど。いやぁ、どうやったらこういう風なものの見方ができるんでしょうね。感服です。
確かに頑張って努力したら報われる系の青春ドラマは見てて楽な反面、現実味はかけらもありませんね。いわれてみれば見事にそういうあたりまえを暴きだした批評になってますね。
そう言われてみると、朝井リョウさんの他の作品も『チア男子』『少女は卒業しない』『学生時代にやらなくてもいい20のこと』などはタイトルから似たような態度が感じられます。
いわば、常識的に無批判に賛美されているものに対する反骨精神。
なんだか読みたくなってきました。これはまた積ん読が増えますね。