思惟漏刻

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戦後史入門 (成田龍一)

今回は小説ではありません。最近は小説少なめですね。

 

さて、表題の『戦後史入門』は名前の通り戦後史についての入門書です。ですが、ただの入門書ではありません。

僕が予想していたのは、安保闘争があってこう言う背景があって、他にも大学紛争なんかがあったりして、という紹介だったんですが、嬉しい裏切られ方をしました。

 

というのは、全体を通して「歴史とは何か」をずっと側に置きながら戦後史を紹介していくという、具体的な出来事の列挙に留まらない内容だったからです。

 

 

この中で繰り返しいわれてきたのは歴史と事実は別物であるということ。歴史とは語り手が過去の出来事をどう見るかという解釈でもあるのです。

例えば、太平洋戦争(そもそもこの呼び方を採用するのも一つの解釈なのですが)についての記述も沖縄の人々と本土の人たちとではまるで別物になるわけです。

だからこそ、過去の出来事は変わらなくても教科書は改訂されるし何冊もできる。

 

また、語り手は「いま」の状況に大いに影響を受けるのだとも言っています。

過去→いま→未来 という時系列は当たり前なようで意外と見落としがちな視座を与えます。一つには、過去の出来事は結末が見えているのに対して、現在進行形で起きている出来事はどうなるかわからないということです。だからこそ「いま」をどうみるか・どうみるべきかという考え方が過去の見方を変えることになります。そうした過去を通して現在を見る働きこそが歴史であると述べています。逆に未来へ視線を向けているからこそ歴史は重要であり、過去の出来事のことなら何でもいいとはならないのです。

 

作者はおりにふれて「ALWAYS三丁目の夕日」を引き合いに出しています。あの映画は、昭和が古き良き時代であるかのように作られていますが、昭和の中でも特に高度経済成長期に目を向けて作っているのですね。この映画が作られたのは日本が不況に陥っていた時期で「いま」に影響を受けた過去の解釈であると言えるのです。

 

過去ので出来事についてどれをピックアップするかこそが、歴史家を始めとする歴史の語り手の手腕なのですね。同じ戦争を扱っていても『火垂るの墓』と『白痴』では戦争は全くの別物となって立ち現れるのです。

 

 

さて、簡単ながら読んでみた感想です。

ここで述べられていたのは言われてみれば分かっていたことのような気がしますが、きちんと言ってもらわなくては意識的に過去をそうした見方で捉えることができなかったような気もしてきます。放っておいたら過去の出来事をただの知識にしてしまいそうです。本当はそこに当事者たちの物語があるはずなのに。

コロンブスの卵じゃないですけど、こういう一見当たり前なことって馬鹿にならないですよね。


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