よみしろの読む城

好きな小説を好きなだけ褒めちぎります

古典部シリーズ(米澤穂信)について

僕が読書にはまったきっかけとなった本です。

 

最初はアニメから入り、ドストライクすぎて古典部シリーズを読破し、勢いが止まらず小市民シリーズも一瞬で読んでしまった経験があります。僕はそれまで読書というものに小難しいものを感じていたので、読書の敷居をぐっと下げてくれた米澤先生には感謝しています。

ちなみにその後、辻村深月森見登美彦に手を伸ばしていきました。

 


古典部シリーズとは

さて、本題です。 

米澤穂信は<小市民シリーズ>と古典部シリーズ>と称されるシリーズを書いています。どちらも「人の死なないミステリー」・「日常に潜む謎」といった、ミステリーの新ジャンルを切り開いています。いずれも高校生が主要人物で、青春小説としても楽しめます。

 

今回は古典部シリーズを取り上げますが、主人公の折木奉太郎は怠惰ながらも頭脳明晰で、モットーは「やらなくていいことはやらない。やるべきことは手短に。」

怠惰な奉太郎ですが、姉の画策により古典部入れられ、そこで千反田えると出会います。彼女は好奇心の塊で気になったことを解決すべく、奉太郎を連れ回し、奉太郎は不本意ながら様々な謎の解決をしていきます。

 

小市民シリーズの主人公も頭脳明晰です。(ただし性格に問題ありというところまで一緒です)どちらのキャラクターも頭のいい人の思考回路がよく反映されています。作者(米澤穂信)が人のものの考え方についていろいろ考えたことがあるのでしょう。



 やらなくていいことはやらない。やるべきことは手短に。

この奉太郎のモットーですが、一見するとただの怠け者です。ところがどうして、よくよく考えてみると意外とそうでもない。このモットーは言い換えれば、やるべきこととやらなくていいことを見極めてやるべきことを最短でこなす、超効率的な行動原理なのです。


これって実は頭が切れる人でないとできないことです。どうしても僕らは勉強するにしても何かの作業をするにしても無駄なことに手を煩わされ遠回りしてしまいがちです。それであとあと時間が足りなくなっていったりして。


だから、奉太郎は見た目に反してそうとう考えているはずです。一つの行動原理に基づいて動けるというのは、ある意味では羨ましいような気もしますね。

 

でも、実際に一つの行動原理で動くのは少し怖いところもありますね。その行動原理の持つ利点を最大限活かすとともに、欠点も最大限に出てきてしまいます。

 

奉太郎の超効率的行動原理の場合は、どうでしょう?


なんか淡白ではないですか?やらなくていいことをやらないって。いろんな回り道をしてこそ味が出てくるというのも一つの真実だと思いますし。


暇ができたら好きな小説を読んでいたりもしますし、排他的で極端な合理主義という程ではないですが、やはり奉太郎の性格的成熟には不安が残りますよね。

 

 

千反田えるとの出会い 奉太郎の成長

と、ここで出てくるのが千反田える千反田は奉太郎と真逆で好奇心の化け物で「わたし、気になります」の一言がその性格をよく表します。勉強もできる記憶力もいい千反田ですが、頭がよく真面目であるがゆえに自分にはない能力を奉太郎に見つけ、頼りにしていきます。

 

二人の性格は正反対ですが、衝突し合うものではなく、むしろ補い合うタイプの性格差です。「やらなくていいことはやらない」閉鎖的な奉太郎を千反田が外へ連れ回すことで知らず知らず成長させ、一方で、好奇心旺盛なせいで空回りがちな千反田を奉太郎の合理的で冷静な知性が、これも知らず知らずのうちに支えます。作中、あからさまな恋愛のシーンはありませんが、二人はおあつらえ向きであることが暗に仕組まれています。

 

 

ちなみに、メインキャラクターの残る二人伊原摩耶花福部里志は、片思いの描写があります。それでもって衝突し合うような性格的な正反対さもあって、折木と千反田の組み合わせとは対照的です。

 作者の意図を感じますね。

 

と、ここまでで奉太郎の性格とかを見てきましたが、いうなれば青春小説として<古典部シリーズ>を見ているわけです。ミステリーとしてはどうかというと(僕はあんまりミステリーを読む人ではないので詳しくは言えませんが)少なくとも王道とは言えないでしょう。落ちとかを青春時代の懊悩と結びつけてしまうのもわりと突飛なことのように思います。考えてみると、ミステリー好きと青春ものとをつなぐ架け橋のような小説だったんですね。

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