思惟漏刻

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空白を満たしなさい (平野啓一郎)

平野啓一郎さんの『空白を満たしなさい』です。

 

こちらは『私とは何か「個人」から「分人」へ』を小説化したものです。小説を解説したのが『私とは何か「個人」から「分人」へ』であると言うべきかもしれませんが。

 

主人公の男がある日生き返って、一度死んだ身として周囲の人間とのかかわり方を見直していく話です。

基本的には個人の内面に向き合う物語なので、死者復活による社会的影響を期待した人は肩すかしを食らうことになるでしょう。

 

大事になってくるのは「分人」という作者の造語です。家にいる時の自分と友達と話しているときの自分は性格が異なるように、自分という人間は一つの定まった人格なのではなくいろんな人格が共存した存在なのだと。作者はそれぞれの細分化された人格を分人と呼んでいます。個人というのは(その言葉から暗示されるような)これ以上分けきれない最小単位などではなく、まだ細かく分けられる分人の総体であり、そうした勘違いが本当の自分とは何かといった疑問を複雑にしてしまっているという主張を作者は持っています。

 

こういったことは、なんとなく感じていたことではないでしょうか。と同時に、重要視する前に忘れて流してしまっていたりしていないでしょうか。この分人思想がある種の問題に救いの手を差し伸べてくれることを見落としたまま。

 

『空白を満たしなさい』は分人思想の真価を見せつけてくれました。

 

個人的には自殺というのものについて分人が分人を殺すのだととらえ、そこから自分の嫌いな分人を他の分人が排斥するために自分全体を殺す行為だという解釈にはっとさせられました。

自分のことで思い返すと、自分のことが嫌いだった時期に自分を傷つけていたことがあります。怪我をわざと作ったりかさぶたをむいたり。あれを分人思想になぞらえるなら理想家な自分が理想とはかけ離れた自分を嫌っていたということであり、理想家の自分の潔癖性は先の自殺者の行っていた排斥行為に他ならないことでした。だいぶ前のことではありますが、妙にしっくりと納得させられました。

 

他にも、心の中で死者として自分を扱ってきた人々が生者である自分に出会って困惑する様はリアルでしたし、嫌いな人間に対する消えてしまってほしいという感情の扱い方が上手に思いました。

 

ただ『私とは何か』の方を先に読んでいたせいかメッセージ性を強く感じ、それが直接的で理屈っぽいようにも思えました。

分人ということを語るためなのだろうが他の要素を切り捨てすぎたのではないでしょうか。つまり、登場人物の行動様式のうち「分人思想」や「本当の自分に悩む気持ち」の占める割合が大きく不自然な印象を受けました。

 

といっても優しい雰囲気もあり、なんとなく灰谷健次郎を思わせる作風でした。

 

 

  


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